読書メモ『しぶとい十人の本屋』

「しぶとい十人の本屋」の読書メモ 読書メモ

こんにちは。フリーランスのwebデザイナーを目指す障害当事者(障害者)、yasuhaです。いつもブログをご覧くださりありがとうございます。
今回は『しぶとい十人の本屋』(著:辻山良雄/朝日出版社)の読書メモとして、感想などを記していきます。

書籍概要

書籍名:しぶとい十人の本屋
著者:辻山良雄
出版社:朝日出版社
発売日:2024年06月10日

著者は『Title』という書店を運営している方。この書店はいわゆる「独立書店」と称されるもののひとつです。
「独立書店」とは、正確な定義が分かりませんでしたが……おおむね、個人経営の店とか、資本が独立した店。また、選書に独自性のあるお店……というイメージのようです。大企業によるチェーン店の対極にあるものと考えればよいと思います。
この本は著者が同じく独立書店を営む方のもとを訪ね、話したことをまとめた本です。そういうわけで、障害者やフリーランスについて書いた本ではありませんが、この本で書かれている方の多くは個人で本屋を経営している方であり、つまりその方たちはフリーランスに近しい働き方をしています。この方々の働き方に、感銘を受ける部分が多くありましたので共有します。

印象的な内容

全編を通して、相手の顔が見える商売をしている方が多い印象だった。
お客さんのことを知っている(信頼関係がある)から、お客さんに必要なものを仕入れることができる。そうすると、無理な仕入れはできなくとも、本はちゃんと売れていく。
そしてそれを「まっとう」な商売であると称している。
この背景には、大きなチェーン店に勤めていたときは取次(本を選定して書店に納入する配本システム)や仕入れ部が選んだ本を売っていた。すなわちお客さんの顔を浮かべて本を選ぶことはなかったという実感がある。(なおこの売り方のどういうところが「まっとうではない」のかはこの本を読んでもらうのが良いと思う。無理な商売とか、出版業界の問題点の記述がある。)

本文中には、以下のような内容がある。

「書店員」と「本屋」とでは、どういう違いがあるのか?
――生き方としての「本屋」ということ。お客さんは店の看板ではなく「私」に向かってやってくる。生き方が伴っているのが「本屋」だと思っている。それが自分だと覚悟をするかどうかだと思う。

(※内容は要約です)

また、本屋という「場所」についての話をしているので、個別性は場所にも現れる。「この場所でしか成立しない本屋になりたい」という記述もある。
商売内容についても、大手チェーンとの棲み分けがある。大手チェーンでは嫌なことが、個人の商売としてはありがたかったりもする。潜在的なニーズ、とりわけ専門性の求められる部分に、独立書店が対応することができる。
そして、個人の商売は「やるべき仕事」をやりやすい。個人事業主は、自らがやると決めればやることができる。本書のなかでは、高齢者や障害者に対する本の配達をその文脈で語っていた。

このように、個人の店(≓フリーランス的)であることがどういうことか、その端々からうかがい知ることができる。もちろんフリーランスであるからといって仕事をわざわざ「生き方」と自ら定める必要はないのだが(本屋というものがそうなりやすい特殊さを持つことや本書のコンセプトから、本書の記述にそのような特徴があるのだとも思う)、その土壌……可能性があると踏まえてみるのは悪くないように思う。

考えたこと

このような個別性のある小さな商売は、コミュニケーションありきという印象を受けた。口達者であるという意味ではない。「わたし」が「あなた」の目の前で仕事をする……ということを理解しあうコミュニケーションだ。(ただし、「あなた」の規模次第ではそのコミュニケーションの濃度は変わるかもしれない。その場合は、それだけ「わたし」の個別性も薄まる)
よく「フリーランスで働くなら障害は言い訳にならない」という言動を見聞きするが、だからと言ってわたしたちがフリーランスを志すとき、障害当事者でなくなるわけではない。だからそれを織り込むのは必然に求められることである。
加えて個人事業主というものはそもそもが障害の有無にかかわらず、縁や信用で仕事がつながっているような印象がある。そこに「わたし」であるという個別性が伴うのは、それほど的を外した想像ではないのではないか。
障害を全面に打ち出す必要はないが、「わたし」であることに不可分である限り、それを隠すことはむしろ仕事上のリスクだ。必要な理解と配慮があれば働ける……というのは障害当事者が働くうえでのごく常識的な考え方である。だから理解を得る=問題なく働くためには「わたし」を伝えるコミュニケーションが必要ということなのだ。
以上のことから、フリーランスで働く障害当事者には、ほかの働き方に勝ってコミュニケーション能力(あるいは関心、注意)が必要であると感じた。
なおこのコミュニケーションとか理解を得るとかを説明するための補助線として「合理的契約」という言葉を打ち出していきたいと思っているのだが、それはまた別の機会に。

本というものは「人間くささ」を扱うもので、それが本書の題名でもある「しぶとい」という意味を含んでいるように思う。この「しぶとさ」は例えば過度な合理化とか、最小単位の人間や事業者が得をしない仕組みなどに対する反抗。あるいは自分が本質と定めるものを遂行していくための執拗さ。
これらは、先に示した「『わたし』を伝えるコミュニケーション」に対するヒントになるように思う。
非常にざっくり言うなら、障害当事者にも「しぶとさ」があったほうがいい、ということだ。
ひとりの当事者としてわたしは、障害者雇用という制度がわたしのための制度だったという実感があまりない。わたしの役に立ったとは思っている。それでも、わたし(つまり、障害当事者)以外の誰かのための制度のおこぼれに預かっていただけだった、と感じている。
自分で自分の人間らしさをしぶとく尊重しなくては、制度や他者のための自分になってしまうのだ。

話が飛躍するが、わたしは障害当事者が働くことには、「わたしはどう働くのか」という根本的な問いを差し込む余地が得やすいと考えている。もちろん高尚な使命をもって働く必要はないのだが、障害を抱えながら「わざわざ」働くというのに、制度や他者、ビジネスや社会に求められるがままになる謂われもない。
わたしが「そうまでして」働くことには、相応の意味や理由を見出したい。
なぜ働くのかという問いと、それに対する答え、意味や理由を持つ。それは障害問わず人間らしくあるということで、だからこれはみんなにとって役に立つ問いだとも思う。

まとめ

だらだら書いてしまった……が、わたしの感想・考えはだいたいこんな感じです。

  • フリーランス(この本で言うと個人書店の経営者)は、自分がやるべきと決めた仕事をすることができる。これを「まっとう」な「生き方」と感じている人もいる。
  • 縁や信用で仕事をするフリーランスには「わたし」が「あなた」に対して仕事をしている……という個別性が発生しやすい。従って、その個別性としての障害を切り分けることはできない。
    (これを踏まえた働き方の概念として「合理的契約」というものがある……ようにしたい)
  • この本にある「しぶとさ」とは、自分が大切だと考えることを守り実行すること。
  • 他者や制度のためではなく、自分で自分の働く意味や理由を定めて働くことはそもそも「人間らしく」あることだが、障害当事者がフリーランスで働く場合、そのことを考える余地がいっそうある。本書に示された「しぶとさ」が、理解の助けとなるだろう。

以上です!
とても楽しい読書でした。本好きや独立書店に興味がある方にはもちろんのこと、地域におけるユニークな営みを知りたいとか、「しぶとい」というワードにあるような偏屈さに惹かれるひとなど……いろいろなひとのニーズに合う本だと思いました。
ちなみにこのブログを書いている時点で、この本の出版社である「朝日出版社」は経営体制が不安定な状態になっています。創業者遺族が株式譲渡を決め、役員は全員解任……と言った具合です。本は社会の財産です。資本の論理に振り回されている状態が早く落ち着き、今回の本のような志の込められた書籍が、今後もつつがなく出版されることを願うばかりです。

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